人生は夕方から楽しくなる。ン、ほんとかな?


by Go-in-Kyo-san
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カミネッコン

「カミネッコン」とは現在「森林空間研究所」を主宰しておられる北海道大学名誉教授、東三郎農学博士が考案された、再生紙や古紙などから作られた六角形をした鉢のことです。紙で出来ていて根っこを守るから「カミネッコン」と名づけたそうです。
東先生は今でも研究のかたわら、「市民参加の森づくり 育苗から植林まで」をキーワードに「カミネッコン」を使っての森づくり運動を精力的に展開しています。大勢の市民の方々が参加しており、有名人では富良野の倉本聰氏が閉鎖されたゴルフ場の一部を買い取り、カミネッコンを使っての森づくりや自然の大切さを伝える様々な活動をしている様子がNHKの特別番組で紹介されていました。

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写真の苗木は一昨年の秋に公園で拾ってきたどんぐりを、培養土をいれたビニールポットに埋めて、昨年3月ごろ発芽したものを5月中旬にカミネッコンに移植した時のものです。
もう、かなり大きく育っているので、近々、山に持っていって植えてくるつもりです。この植樹が首尾よくいけば「市民参加の森づくり」のミニ版を、私の手の届く範囲内で展開できたらな~と考えている所です。カミネッコンによる森づくりのよいところは、木の種を拾ってきて、自分で苗を育て、自分で植樹するということが一貫して出来て、しかも子供でもできると言うことです。
ま、あまり手を広げすぎないで、ボチボチやろか~と、まだ、そんな段階です。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-26 14:19 | 折にふれ | Comments(2)

歌舞伎見物

先週の日曜日、生まれて初めて歌舞伎と言うものを観てきた。それも二人の姪に連れられてだ。今までは、姪たちを連れてどこかへ行く、と言うことはあったが、今回は「姪たちに連れられて」だ。姉のほうははN大学日本文化学科の2年生。妹はG高校2年生。歴史が好きだと言う。つい数年前は、姉妹喧嘩しては、泣いていた二人が今日は伯父さんをつれて、歌舞伎見物だ。成長したものだ。姉は大学で歌舞伎についての講義を受けているので、途中いろいろと歌舞伎について講義をしてくれた。
芝居見物には先ずお弁当だ。デパートの地下の食料品売り場でお弁当を買った。あれもこれも美味しそうなものばかり。でも、この時は3人ともお腹がいっぱいだったので、多少落ち着いて選べることができた。
さて劇場に着いた。観客の多くは女性で、和服の人も多く、さすがに華やいだ雰囲気だ。
出し物は「通し狂言雷神不動北山櫻」市川海老蔵五役相勤め申し候、とある。この海老蔵というのが女性に大人気だと言う。
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肝心の歌舞伎。とにかく豪華。衣装は鮮やか、立ち回りは飛び切りがあったり、速変わりがあったりで大サービス。席も良かった。右手横の席だったので、舞台を右手に、花道をほぼ正面に見る位置だったので、花道で見えを切るところなどよく見えた。お囃子ももちろんライブなので、太鼓の音など、肌で感じられるよう。なによりも感心したのは、サービス精神が旺盛なことだ。面白いと言っても、4時間の通しだ。途中ちょっと眠くなることもある。眠くなってこっくりし始めると、決まって「つけ」が入るのだ。あのパタパタパタという甲高い音で「これからいいところが始まるよ。起きな、起きな」と言ってくれているのだろう。
初めての、それも姪たちに連れられての歌舞伎見物。楽しかった。秋には忠臣蔵がかかると言う。また、連れて行ってもらおう。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-25 09:50 | 折にふれ | Comments(2)

花わさび

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山の家の前に小さな沢があります。今はU字溝になっていますが、昔は自然石を積んで作った沢でした。写真の左がわさび、右がクレソンです。わさびの花茎を摘んで鼻はじきを作ろうと思います。これだけ採れました。
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鼻はじきの作り方は、教えてくれる人それぞれでみんな違うので、今まで上手に出来たことはありませんでした。今回はあるレシピどうりに作ってみました。上手くできました。口に入れ2,3回噛むとツンと鼻に強烈なキックが来ます。これです。これがほんとの鼻はじき。
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左は鼻はじき。右にあるご飯は到来物の紅しゃけと大根の茎の漬物の混ぜご飯。
大地に育ったものをいただくと、大地の力そのものをいただいたように感じます。
一番左は育ちすぎた土筆。山葵の株の中で育っていました。これは写真のつま。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-22 21:55 | 山の家 | Comments(2)

大島桜

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このところ硬い話が続いたので、閑話休題。
これは大島桜です。この写真は最初の記事でも使いました。私はソメイヨシノよりこの大島桜のほうが好きです。大島桜は花と同時に葉も一緒に出ます。花の色は白で、中心近くは薄いピンクです。木全体を見ると白が基調で、そこに緑が混じり、さわやかな風合いです。花が終わり5月になると実がなります。初めのうちは薄い黄色をしていますが、熟してゆくうちに赤そして黒い赤に変わります。実を口に含むと甘いのですが、それ以上に渋くて苦く、とても人間が食べられるような実ではありません。小鳥にとっては、絶好の食料だと思います。
去年の5月中旬、落ちていた実を拾ってポットに播種してみました。果肉を取り除かなかったので、発芽するかどうか、心配したのですが、2月末頃からポツリポツリと芽を出し、4月中旬にはこんなになりました。
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発芽率は100%でした。発芽率がこんなに良いとは思いませんでした。もうそろそろカミネッコンに移植しようと思っています。カミネッコンに移植したら、また写真をアップします。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-21 13:18 | 折にふれ | Comments(2)

落第と落研

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真打登場。どうだ、まだ髪の毛がふさふさしている。後ろの金屏風があるところを見ると、これはクラーク会館での口演の写真だ。北大落研と私の落第とは切っても切れない縁でつながっていると思う。もしも、と言うことを許されるのであれば、あえて言いたい。もしも、私が落第しないで、まともに、例えば工学部あたりに進級していたら、かなりの確率で北大落研は出来ていなかったろうと思う。

消去法で考えるとこうなる。恵迪寮で落研の創設者で活動の中心だったS君は法学部に進級し弁護士を目指して猛勉強を開始。D君は水産学部に進級して函館に行ってしまった。寮外生のK君は医学部に進級したので、これまた勉強に忙しくなってしまった。2年生のN君も秋には函館に行ってしまう。残ったのは落第生の私一人。
3年目2年生、恵迪寮の春の部屋替えの時、寮で引き続き落研を続けようと部屋のメンバーを募ったが、一部屋作るまで人数がどうしても集まらなかった。どうしようもないので、自信はなかったが、全学に進出して落語研究会の会員を募集した。びっくり仰天。8人も入会希望者がいたのだ。さあ、このあとが大変。正式なサークルになるには顧問の先生を探さなくてはならない。活動の場所も確保しなければならない。活動の方針も考えなくてはならない。恵迪寮で同好会的にやっていたのと大違い。何しろやることなすこと、初めてのことばかり。時にはS君、K君などの助けを借りたが、有り余るほどの時間を使えるのは、落第している私だけ。必然的に創設期の落研は私が中心になって動き、当然のこととして私が初代会長になった。私に特別な能力があったとか、噺が上手かったからというわけではなかった。時間をたっぷり使えるのは私しか居なかったからだ。北大落研の誕生には私の落第と言う偶然が必要だったのだ。

ここまでくれば、「落第と落研」というタイトルの深い意味がお解かりいただけると思う。「落研と落第」ではないのだ。落研に入ったから落第したのではなく、落第が先にあり、そのあとに落研があるのだ。

私が住んでいる岐阜市では、「全日本学生落語選手権大会『策伝大賞』」が行われる。今年は北大落研から9人参加した。落研の学生さん達と岐阜で会うことができるのも、あの落第が発端かと思うと嬉しくなる。
落第するのも、悪くはない。うん。




                            ―了―
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-21 11:40 | 北大 | Comments(4)

落第した理由(わけ)

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教養2年の秋、学部移行できないで落第した。直接の原因は無理な目標設定にあった。その目標とは工学部に進学することであった。なぜ工学部か?母も兄もガチガチの理工系志向なのだ。亡くなった父はT工大の前身、東京高等工業高校出身の機械技師だった。兄もK大工学部出身だった。農学部なんて怠け者が行く所だ位に考えていた。林学をやりたいというと、「なにを馬鹿なことを考えているのだと」母と兄から頭ごなしに怒られた。こちらも二人のそのような考えに反論し、説得出来るだけの信念を持っていたわけではない。ただ、頭の中には、うねうねと広がる根釧原野とドドマツの苗を植えているトラクターのイメージがあるだけなのだ。こんな漠としたことで二人を説得できるわけがない。小学2年の時に父をなくし、それ以来父親代わりに面倒を見てくれた兄に逆らうことも出来なかった。

工学部に進学するには、数I,数II,数IIIそれと図学を必修で単位を取らなければならなかった。その数学が大問題なのだ。とにかく数学が苦手なのだ。努力して、北大入試にかろうじて合格するくらいの水準にまでには行ったが、これが限界だった。それから先は断崖絶壁。真っ暗闇。ブラックホール。努力で解決できる領域ではなかった。私の理解の範囲外の領域だった。授業の内容がが理解できない。理解できないから授業に出なくなる。他の科目の授業にも出なくなる。このような状況を後押ししたのが、恵迪寮にいた哲学的雰囲気を持った落第している先輩に対する、魔物に魅せられたような、憧れのような感じ。そして母や兄から離れ、頭の上の重石が取れたような開放感。理解できない数学で悩むより、この開放感を十分楽しもう、となる訳だ。結果は当然落第。

2年目の夏休み。母に秋に学部移行できないこと、すなわち落第したことを告白した。母は怒って3日間、口をまったく利かなかった。そして落第生活が始まった。一番困ったのは特別奨学金の貸与が止まったことだ。育英会もさすがに落第生の面倒までは見てくれなかった。アルバイト暮らしが始まった。飲んだくれの生活も始まった。努力しなかった自分が悪い、俺はだめなやつなんだ、と自分を責める自分と、そんな事を言ったって、出来ないものは出来ないのだと自棄になっている自分と、そんな今まで見たことがなかった自分を見て戸惑っている自分と、いろいろな自分が自分の中に混在していた。

どこまで落ちるのか分からなかった。ただ、落ちる所まで落ちたある時期、自分を責める自分の他に、そんなことを言っても多少良い所もあるんだよと、ぼそぼそ言っている自分の存在に気がついた。その自分の存在が徐々に大きくなり、それに伴って生活も落ち着いてきた。自然治癒と言う感じて立ち直った。工学部には進学できなかったが、何とか農学部林学科には進学できた。こんなことなら最初から林学へ進むことにしていれば、落第しないですんだのにと思った。

現在、青少年にいろいろな問題が起こっている。不登校の問題、親子間のコミニュケーションの欠如の問題、そのほかいろいろな問題もあるし、それらの原因も様々だろうが、原因のひとつに、親の価値観の子供への押し付け、本人の適性を無視した過大な期待。そのような圧力を受けている子供たちは、自分が知っている本当の自分と、押し付けられたあるべき自分との大きな隔たり・ギャップの大きさに絶望しているのだと思う。そしてクレバスの中に落ちるように、あるいは氷河の末端が海に崩れ落ちていくように、自己が崩壊してしているのだと思う。子供は褒めてやらなければならない。目標はほんの少しの努力で手が届くと所に設定しなければならない。そして、達成できたら褒めてやらなければならない、と思う。これは二十歳の私が言っている生の声だ。

さて、私の落第には後日談がある。私が、4年目3年の秋、兄一家と一緒に暮らしていた母が、兄の札幌転勤に伴って、札幌に来た。北大構内を案内した。しばらくして母が言った「北大っていいところだね。お前が落第するのは無理はない。どうだい、もう一年落第したら」。「...」絶句。



                          ―了―
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-20 17:18 | 北大 | Comments(2)
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昭和39年3月、S県立K高校を卒業し、4月、北大に入学した。なぜ、北大か?いろいろ理由はある。
高校2年の時の担任は「あんちゃん」という物理の先生だった。このあんちゃんがある時面白いことを言った。「大学に入って、本当に勉強したかったら、自宅から通える大学に行け。早く大人になりたかったら、一日では帰ってこられない遠い所にある大学に行け」。 なるほどと思った。

高校3年の夏休みのある日曜日、朝日新聞の日曜版に根室のパイロットフォーレストの写真が載った。うねうねと広がる根釧原野にトラクターでドドマツの苗を植えている写真だった。「これだ!北海道だ!」この時、そう思った。

兄の親友にTさんという北大の医学部を卒業した人がいて、私のことを弟のように可愛がってくれた。その人が「トシくん、北大はいいぞ。旧七帝大のなかで、北大の入試は一番やさしくて、人気は東大、京大に次いで3番目だ(当時)。札幌の人はみんな北大生に親切だ。それに札幌には可愛いメッチェンが沢山いる。北大はいいぞ~」と言うのである。

最後にこれが決定的な理由なのだが、北大が浪人をしないで合格できるであろう最高のレベルだった。日本育英会の特別奨学金を貰っていた私には、現役で合格すると引き続き大学でも特別奨学金が貰えることになっていた。だから浪人することは許されなかった。3年になって本格的に受験勉強をしたが、参考書は各教科1冊だけ。塾も夏休みの予備校での夏期講習などというものも無縁だった。ラジオの大学受験講座だけが頼りだった。本当に省エネ受験勉強だった。入学願書も北大と二期校しか出さなかった。私立なんて、選択肢の外の外だった。だから、入試は1度しか受験したことはない。

北大の入試が終わったあとは、もう気が抜けてしまい、二期校の入試が控えていたが、勉強なんて何にもしなかった。吉川英治の宮本武蔵を図書館から借りてきて、1週間かけて全部読んだ。そして、合格通知の電報が来た。大阪にいた兄に知らせたが、信用しなかった。休暇を取って家に帰ってきた兄は、大学から送られてきた入学許可書を見て初めて信用し、そして、涙を流して喜んでくれた。兄は本当に涙もろいと、思った。あとで涙の訳を聞いたら、「これで面倒を見なくてすんだ。助かった。と思ったら、嬉しくなって涙が出てきた。」と言うのだ。私が合格したことを純粋に喜んでくれていたわけではなかったようだ。

そして、上野駅から「みちのく」「青函連絡船」「ライラック」と乗り継いで23時間59分かけて札幌に着いたのだった。その後の物語は次回のお楽しみ。お後がよろしいようで。



                         ―了―
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-18 14:41 | 北大 | Comments(4)

北海道大学



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私にとって北海道大学は青春そのものであるといっても言い過ぎではない。今の私の人格、物の考え方の基本の大部分は北大での5年間で作られたと思う。キーワードは四つある。恵迪寮、落語研究会、林学そして落第。恵迪寮、落語研究会、林学を3本の縦糸とすると落第がそれらをつなぐ横糸と言える。それぞれにおいて、学んだもの、体得したものがある。
まず、恵迪寮。一部屋5人(一部の部屋は7人)総勢300数名の教養生が寝食を共にした寮である。ここで体得したことは自己主張と協調性そしてそのバランスのとり方。なにしろ二十歳前の若者が300人も同じ屋根の下で暮らしているのである。強く自己主張しなければ、埋没してしまう。かといって協調性がなければ共同生活を円滑には送れない。それをどうバランスをとるか。毎日が訓練だった。
落語研究会。落語をしゃべったので声は大きくよく通るようになった。また、間の取り方は上手くなったと思う。いろいろ事情があって全学での落語研究会は私が主体になって作ったので、新しい組織を作り、運営する訓練はさせてもらった。この経験は社会人になり合弁会社をマレーシアに作るプロジェクトでおおいに役に立った。
林学。ここでは生物の多様性と言うことを学んだ。例えば、たった1本の木を切っても、そのことが森全体にまで影響を及ぼすものなのだ、と言うことを知った。生態系は全てつながっていること、人間もそのごく一部なのだということ知った。しかし、林学については私の中で未解決の問題が多く、今でも、もやもやしたものをずっと引きずっている。
そして、落第。恵迪寮に入ってまもなく、寮の廊下ですれ違う先輩たちの中に、1,2歳しか年が違わないはずなのに、ずいぶん大人びた、そして多少哲学的は雰囲気を漂わせてる人が数人いた。話を聞くとみんな落第生だという。落第すると早く大人になれるのかと、変な勘違いをした。気がついたら落第していた。落第した1年分普通の人より余計に友達が出来た。得した。
それより何より、私の人格とか物の考え方などと言う小さな属性よりはるかに大きく貴重な財産を得た。友達だ。数十年会わなくても、再会した瞬間、ぱっと昔に戻ってしまう。このブログを開設を伝えたら、すぐさまコメントを寄せてくれたり、メールを送ってくれたのも、そのような友達だ。持つべきものは友達。使い古された言葉だが真実だ。だから使い古されるのだろう。インドネシアへ出張中、取引先の中国系のマレーシア人と四方山話をしていた時、「私は会社で偉くもならなかったし、財産を作ることも出来なかったが、友達は沢山いる」と言ったら、その人は「そういう人を人生の成功者というのだ」と言ってくれた。悪い気はしなかった。ホテルに帰ってから、バーでその言葉を思い出しながら、一人でちびりちびりと酒を飲んだ。その酒は美味かった。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-15 14:44 | 北大 | Comments(2)
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昨年の夏札幌を訪問した際、北大の博物館に展示してあったクラーク博士が残した言葉をノートしてきた。
Boys be ambitious! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement, not
for that evanescent things which men call fame. Be ambitious for knowledge,
righteousness, and for uplift of your people. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
日ごろ見慣れていない単語が使われているので、辞書を引きながら自分で訳してみた。
「青年たちよ、大志をいだけ!金銭や利己的な権力、人々が名声と呼ぶはかないもののためではなく、知識、正しいこと、貴方の周囲の人たちを向上させることのために、大志を抱きなさい。人としてあるべきすべての事を得るよう、大志を抱きなさい。」
これを訳していて、これは最近読んでいる仏教の本に書いてあった菩薩行のことではないかと思った。菩薩が行う四つの利他行とは、布施(他人への施し)、愛語(慈愛のこもった言葉遣い)、利行(社会を益する行為)、同事(自他融合し、他人の身になって考えること)。クラーク博士は図らずも、菩薩行に精進しなさいと言っているのだと思った。キリスト教であれ仏教であれ人間として目指すべき所は同じようなものなのだと、改めて納得し、安堵した。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-14 06:33 | 北大 | Comments(1)

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これは郡上にある山の家の囲炉裏です。桜の木の薪を燃やして、あまごの焼き干しを作っている所です。あまごが余り硬くならないうちに引き上げます。ある程度数がまとまったら甘露煮にします。囲炉裏の火は料理にも使えます。
それ以上に、囲炉裏の火には不思議な力があるように思います。囲炉裏の火に限定されるのではなく、燃える炎と言ったほうがよいかもしれません。ちろちろ、ゆらゆらと燃えている炎を見つめていると心のなかの不純なものが燃えて、心が純化していくように感じてきます。
亡くなった私の兄が名古屋の某ビール工場の課長をしている頃、部下で労働組合の手ごわい連中をこの山の家に連れてきて、囲炉裏の火を囲みビールを飲みながらいろいろ話し合ったそうです。囲炉裏の火を見ているうちに、みんな段々素直になってきて、お互いに言いたいことを言えるようになり、何度か繰り返すうちにみんな兄貴の子分のようになってしまったそうです。囲炉裏の火にはそんな力があると、兄はよく言っていました。
昔、生活の中に囲炉裏があった頃、昔話は婆さんから孫たちへ、囲炉裏の火を通して伝わったのだと思います。密教では護摩を焚いて加持祈祷を行うといいます。あれは護摩の炎によって純化された祈祷者の生命が炎を通して仏と交信するのではないかと思います。炎には不思議な力があることは確かです。私はそう感じます。これは人類が火を発見して以来、脈々と受け継がれてきたDNAなのではないでしょうか?
私たちの日常生活の中に薪などの炎がなくなって久しくなりました。今我々に必要のもののひとつは、炎をじっと見つめる時間ではないかと思います。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-04-12 16:04 | 山の家 | Comments(1)