人生は夕方から楽しくなる。ン、ほんとかな?


by Go-in-Kyo-san
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小鳥の巣

下の公園で小鳥の巣を見つけた。木の下に落ちていたのだ。どうも、まだ未使用の巣のようだ。大きさは外径約15cm、内径10cm、高さ10cm位で、大きなものではない。
巣の外側には木の枝やビニール紐の切れ端など硬くて丈夫な素材が使われており、内側には細い毛のような草、犬の毛、鳥の羽など、柔らかい素材が使われている。
どの小鳥の巣なのだろう?スズメより小さそうだ。とするとキビタキの巣かもしれない。この辺では、カラス、ハト、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ツバメ、セグロセキレイ、そしてキビタキをよく見かける。そのなかで一番小さいのがキビタキなので、キビタキの巣かな、と思ったわけで、確証は無い。

                     上から見た写真
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                     横から見た写真
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それにしても、設計図があるわけが無し、専門学校で巣の作り方を習ったわけでもないだろうに、小鳥たちは何故このようなものを作れるのだろう? 自然界には人間の能力をはるかに超える能力を持つ生き物たちがたくさん居る。と言うより、人間以外の生物のほうが優れた能力を持っていると言うべきであろう。不幸にして人間は機械文明という物を作ってしまった。人間はその機械文明を制御しきれず、地球を破壊し続けている。最近、日本人は月に粗大ゴミをばら撒いてしまった。人間はもっと謙虚になって、人間の傲慢さによって起こされている地球は言うに及ばず、宇宙環境の破壊をいますぐ止めなければならないと思う。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-29 16:39 | 折にふれ | Comments(0)

哲学としての林学

私は大学で林学を学んだ。学んだなんて大層なことは言えない、ただ、林学を専攻したに過ぎないというのが実際の所だろう。林学を学んだことは、今でも良かったと思うし、林学は間口が広く、奥の深い学問だと思う。と同時に「林学なんて学問なのか?」という疑問は常にあった。施業法とか、造林方法とか200年、300年経たないと実際の結果を評価できない、そんなものが学問なのか? 林学なんて、実際の経済行為をあとから理論付けしているだけではないのか、そのようなものを学問と呼べるのか?
経済効率最優先の近代機械文明の中で、森林は破壊し尽くされ、地球環境そのものの危機が大きな問題になっている。日本では林業の担い手が無く、人工林は荒れ放題である。つくづく、林学の無力を感じるのである。
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最近、仏教の本をよく読んでいることは以前書いた。その仏教の本(梅原猛の授業 仏教)のなかに「メソポタミア文明を最初に作ったシュメール人が先ず行ったことは、小麦栽培の農地を作るために、森の神フンババの殺害であった。」メソポタミア文明が発展した形の近代機械文明において、林学が無力なのは当然だ。最初に神様が殺されてしまっているのだ。
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一方、日本には縄文の昔から自然には神が存在する、あるいは自然そのものが神だという思想があり、それが基になって、「神道では一木一草に霊が宿る」と考え、「天台密教の究極の理論『天台本覚論』では『山川草木悉皆成仏』『草木国土悉皆成仏』という言葉で表される」のである。人間や動物ばかりではなく草木や鉱物にも仏性があり成仏できるとされる。これはインド仏教にも無い、日本で考えだされたものだそうだ。

もし、人生をもう一度やり直すことが出来るなら、「山川草木悉皆成仏」「草木国土悉皆成仏」を基本理念に置いた「哲学としての林学」を学問したいと思う。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-23 14:28 | 北大 | Comments(4)

愛する姪たち その2

今回は三姉妹の次女Knの話です。Knは私たちが岐阜に来てから生まれた子で、それだけいろいろと思い出があります。その一部を簡単に紹介します。

1.Knは一度早産しかかったことがあり、その時お母さんは一晩緊急入院しました。翌日、私が車で病院まで迎えに行きました。お母さんを自宅まで送り届けたのですが、車が凸凹に乗り上げてゴトンというたびに、私の心臓はドキンとなりました。
2.Knが1歳頃のこと。妻の母方の祖母の七回忌が高野山で行われ、岐阜からは妻の両親、妹の一家、弟の一家全員そろって出かけました。高野山へ登るケーブルカーとバスのなかで、どういうわけか私がKnを抱いていました。ケーブルカーでは良かったのですが、バスでは座ることが出来ず立って左手でKnを抱いて右手でつり革を握っていたのですが、眠ってしまった赤ん坊を揺れるバスのなかで、しかも片手で抱くと言うのは本当に大変なことで、1歳の赤ん坊があれほど重く感じたことは、ほかにはありませんでした。
3.Knが3歳くらいの頃。KnとKnのお姉ちゃん、従兄弟のKs(7歳)、T(5歳)の4人が、我が家でお泊りすることになった。ちょっと面白いことを体験させてやろうと、2階に5人用のテントを張ってやった。上の3人は自分たちの布団やまくらをテントの中に入れて、「私たちのお家」にしてしまった。可哀想に「私たち」の中にまだ小さかったKnは入っていなかったのだ。さて夜になって、寝る時になっても、Knは仲間に入れてもらえなかった。Knは泣かずに、しかし、悔しそうにじっと我慢していた。余りにいじらしいので、我々の寝間の布団の間に一人用のテントを張ってやった。Knは一人でテントを独占し、大満足であった。

そのKnもいま高校3年生。来年は大学受験だ。
Knに贈る言葉。
「自分の限界ぎりぎりまで、受験勉強をしてください。自分で計画を立てて、自己制御し、集中して勉強する。それをやり遂げれば、それが自信になり、一生の財産になります。受験勉強をしなければならない時期は、長い人生のほんの一時のことですが、貴重な“時”です。大事に使いましょう」
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-20 16:38 | 折にふれ | Comments(3)

やもり

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今年もやもりが出てきました。台所の窓のサッシを棲みかにしているようです。この窓のそばにある蛍光灯を防犯の意味もあり一晩中付けておくので、餌になる虫が多く集まってくるからだと思います。

マレーシアのサンダカンでは、12階建てのマンションの9階に住んでいました。ここにはやもりがたくさん住んでいました。壁にかけた額の後ろなどが棲みかでした。繁殖も盛んに行われており、小指の爪くらいの大きさの卵の殻がよく落ちていました。面白いのは羽蟻が大発生して部屋の中にはいてきた時です。ベランダの電灯を残して、ほかの照明は全て消して、羽蟻が外に出てゆくようにするのですが、それでもたくさんの羽蟻が部屋の天井にとまります。それを狙ってやもりが出てきます。ご馳走がたくさん居るのですから、かれらもかなり興奮していて、なかには足を踏み外し天井から落ちてしまうやもりも居ます。

やもりは天井に居るばかりではなく、カーテンの陰に隠れていることもあります。知らずにカーテンを開けると、やもりが足の上に落ちてくることがあります。やもりもびっくりするのでしょうが、冷たくて、変に軟らかいものが足の上に落ちてくるのですから、こっちもびっくりします。こちらはギャーと叫ぶし、やもりもギャーと言っているのかは分かりませんが、とにかく人騒がせです。

三姉妹の一番下のNは小さいときからとかげやかえるが大好きで、やもりのことも、もちろん大好きです。普段は「お泊りする?」と聞いても「やだ」とか言って、泊まろうとはしませんが、「やもりを見られるかもしれないよ」というと「お泊りする」と言います。こういうのを、「やもりでNを釣る」とでも言うのでしょうか?
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-18 12:01 | 折にふれ | Comments(2)
私には血のつながっていない姪が三人居る。20歳、18歳、ちょっと離れてまだ9歳の三姉妹だ。先日、上の二人と、妻の従妹の長女(8歳)の誕生会をやった。食事のメインディシュは海南鶏飯を作った。これは茹でた鶏、鶏の脂でニンニク、ショウガを炒めたものを炊き込んだご飯と鶏を茹でた時に出来るスープの3点セットで、マレーシアやシンガポールの庶民の昼飯用の料理だ。久しぶりだったので、「私は4年以上食べていない」、「私は小学校の時に食べたきり」、「私、初めて」とかいろいろだったが、「美味しい」と言うのは、全員一致していた。詳しいレシピはそのうち、リンクブログにアップします。

今回は、姪たちの話だ。先ず始めに一番上のAの話をしよう。
Aと最初に会ったのは、平成3年2月に我々が千葉から岐阜に引っ越してきてまもなくの頃だった。
その時Aはまだ、1歳8ヶ月くらいだった。恥ずかしがって、私の半径1メートル以内には、決して入ってこず、いつもお母さんの陰に隠れていた。そのくせ、気にはなるらしく、しょっちゅう私のほうを窺っていた。そして4月になって、千葉に住んでいた妻の妹一家が遊びに来た。1歳になったばかりの二番目の甥Tも一緒だった。このTは生まれた時から、私に慣れていたので、「久しぶり」と言う感じで私の膝に乗ってきた。この時、遊びに来ていたAがこれを見て、「しまった、先を越された」と言わんばかりに、私のほうに突進してきて、Tを突き飛ばし、私の膝の上に座ったのだ。妹一家が千葉に帰ったあとは、Aは私の膝を独占した。私は子供を抱く時、胡坐の左ひざに前向きに座らせて、胸に寄りかからせ左手で支えるのが、スタイルだった。こうして抱いてやると、眠くてぐずっていた子も大体3分以内で眠ってしまった。T伯父さんの魔法の左ひざと呼ばれたものだ。
Aには眠る前の儀式として、左右どっちだったか忘れたが、片方の親指をくわえ、別な手で抱いている人の耳たぶをつまむのだ。そうやって、眠りに入るのだった。

そのAが今は大学2年生。T伯父さんを歌舞伎に連れて行ってくれるようになった。そして先日二十歳になった。食べ物に関して独特の鋭い感性を持っており、つまみ食いをしながら、料理の味付けに注文をつけてくる。お酒も飲めるそうだ。近々、Aのたわいのないおしゃべりを聞きながら、美味しいお酒をゆったりと飲みたいものだ。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-16 16:13 | 折にふれ | Comments(2)

我が家の前庭

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我が家の前庭は二坪ちょっとの小さなものです。小さいといっても義母が丹精を込めて育てている
地植えのさつき、花ざくろなどがあり、棚にはいろいろな盆栽があって、それぞれの季節の花が咲き、楽しませてくれます。私は西洋種の草花は余り好きではないので、そのような花がないこの前庭が気に入っています。
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ね、なかなかいいでしょ?
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-08 20:55 | 折にふれ | Comments(0)
昨日は岐阜市文化センター小劇場で催された「長良川に徳山ダムの水はいらない」市民学習会実行委員会主催の「トーク&コンサート このままで このままで 流れよ 長良川」にスタッフとして参加した。スタッフとしての仕事は準備と撤収なので、「トーク&コンサート」は観客の一員として聞くことができた。トークの中で特に印象的だったのは平井久美子さん(1979年生まれ)達が取り組んでいる、地域内の持続可能性を考える「長良川流域持続可能研究会」、長良川下流都市部の生活文化と残す町並みを保存する「ぎふ町家情報バンク」などの活動だった。これらの活動を始めることになったきっかけは、東京での学生生活のあと、急激に衰退してゆく故郷の姿に衝撃を受けたからだと言う。それにしても、若い人たちが、衰退している山村部と都市中心部をお互いが補完してゆくように結び付け、長良川流域内でひとつの経済圏を作り上げていこうと言う構想には、感銘を受けました。この運動が根付いて、広がってゆくことを期待しています。

コンサートは笠木透と雑花塾のフォークソングの演奏でした。非常にメッセージ性の強い歌ばかりで、このグループの熱烈なファンと思しき人たちが少なからず来ていた。彼らが歌った歌の中に「長良川」という歌があった。良い歌なので覚えようと思い、今日一日、プログラムの裏にあった楽譜を見て、ギターとハーモニカの両方を練習した。私が所属しているグループのイベントの時にでも、ご披露出来たらな、と思っています。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-07 17:52 | 長良川 | Comments(0)
全集「仏教の思想」は三部構成になっている。

「文庫版 序」から抜粋。
まず、仏教をインド・中国・日本に分け、各々の仏教に関するそれぞれ最も優れた学者を選び、第一部でその仏教の思想を語ってもらい、第二部で上山春平氏と私(梅原猛)のどちらかとその仏教学者の対話を載せ、第三部として第一部、第二部の成果を踏まえて、上山春平氏と私とがその仏教について語ったのである。
という三部構成になっており、さらに巻末に第三者による解説がある。

私は通常の本のように最初から読んでいった。前項で二冊目、三冊目、四冊目が手強かったと書いた。ところが、五冊目の巻末を読むと次のようなことが書いてあった。

天台、天台大師、日本の天台宗、さらにはこれらを通して日本文化に多大な影響を与えた「仏教」を勉強してみたい、そんな思いの方はぜひ「第一部 天台法華の哲理」の精読からお始めください。次にこの本から仏教についての、なかんずく天台に関しての知識、教養を身につけたいとお考えの読者には、第二部の田村・梅原対談からをお奨めしましょう。さらに、知識、教養を求める姿勢を超えた何か、とりわけあなた御自信の内面との関わりで何かを期待してこの本を手にされた方には、ぜひ梅原猛先生による「第三部 三国伝来の仏教」から読まれることを期待します。(久保継成)

なんだ、こんな読み方があったのかと、目から鱗が落ちた思いであった。六冊目からは最初に巻末の解説を読み、それから第三部、第二部、第一部と遡って読んでみた。特に巻末の解説を先に読むのは、ガイドブックを手に博物館を見て回るようなもので、有効な手段だった。それ以来、この全集を読み返すときは、先ず巻末の解説から読むことにしている。

ほかにも本の面白い読み方があったら、どなたか是非教えてください。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-06-05 17:53 | 折にふれ | Comments(3)