人生は夕方から楽しくなる。ン、ほんとかな?


by Go-in-Kyo-san
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小樽の北運河の近く、色内3丁目に「かもめや」という、部屋数がたった4部屋の小さい宿屋がある。そう、去年の12月13日「人生の楽園」で放映されたあの「かもめや」だ。
詳しいことはホームページ「おたる北運河かもめや」、そのブログの「かもめや日記」をご覧になってください。

その「かもめや」の女将、M子さんの話だ。時は43年遡って、昭和41年秋のことだ。私は生まれて初めて女子大の大学祭に行った。大学の名前は藤女子大。北海道の女子大の名門だ。埼玉の田舎の男子校出身で、恵迪寮暮らしをしていた私には女子大なんて場違いな所なのだが、どんな動機で行ったか今は思い出せないが、とにかく行ったのだ。

いろいろな展示を見て回るうちに、毛色の変わった面白い展示物があった。場所は国文科。展示の内容は、例えば、石川啄木の短歌が展示してあって、その下に蟹の缶詰が置いてあって、その説明に「啄木と戯れた蟹の成れの果て」とあった。また、夏目漱石の小説の一節、爪の垢でも煎じて飲んでおけというような文章があり、その下にお皿の上に切った爪が置いてあり、説明は「漱石の爪の垢」とあった。男子校出身で同年輩の女性と話をする機会などほとんど無かった私は、女性に対して偏見を持っていたのかもしれないが、兎に角、女性でこんなユーモアというかウィットに富んだ企画を考える人がいるのかと、びっくりしてしまったのだ。当時、出来たばかりの落研の会長をしていた私は、このような人に落研に入ってもらえたらまた一味違った落研になるのではないかと思い、「これを書いた人、是非北大の落研に入ってください」というメモを残して帰ってきたのだ。そして友達数人を引き連れてやってきたのが、M子さんだったのだ。

ということでM子さんは、北大落研女子部員第一号、そして北大以外の大学からの会員第1号でもあるわけだ。そして私が昭和44年3月に北大を卒業するまで先輩後輩の関係でいて、卒業してからつい最近まで手紙をやり取りすることも無かった。20数年前に一度落研のOB会で会ったきりであった。

2006年に北海道に行った時は、これから小さな宿屋を開く準備をしなければならないという時だった。そして去年の夏に妻と姪と3人で北海道へ行った時は、かもめやで一泊した。M子さんは昔と変わらず笑いのオーラを放射しており、かもめやは宿屋というより、親戚の家という感じだった。

つい最近、「かもめや応援団東海支部」を立ち上げた。メンバーは東海地区に住むかもめやファンの集まりだ。この話はまた、別の機会に。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-31 15:39 | 北大 | Comments(0)

長い間の勘違い

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この本は現在ニューヨークにいる恵迪寮時代の友人に頼んで買って送ってもらったものだ。この本を最初に読んだのは、30数年前だ。会社の先輩から借りて読んだ。私は小さい頃から西部劇が好きで、有名な西部劇の大半は見ていると思う。この本は小さいときから映画で見てきた、バッファロー・ビル、ワイルド・ビル・ヒコック、ジェシー・ジェイムス、ワイアット・アープ、ドク・ホリデー、ビリー・ザ・キッド、ブッチ・キャシディーとサンダンス・キッドなどの実録が写真入で書かれている。
Amazon Americaで検索したら古本でかなりの件数が売りに出ていたので、前述の友人に頼んだのだ。友人はすぐ送ってくれた。持つべきものは友人だと、またぞろ友達自慢をするわけではない。長い間の勘違いについて語るのだ。
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私が好きな西部劇のひとつ、「明日に向かって撃て」のニューヨークでブッチ、キッドそしてキッドの恋人のエッタの3人が写真を撮るシーンがあるのだが、そのシーンを見たとき、「あ、あの本に同じ構図の写真が載っていた」と思ったのだ。そして30年近く、そのように思い続けていた。ところが今度、この本を楽しみに開けてみたのだが、あの映画と同じ構図の写真は無いのだ。なんどページをめくってみても無いのだ。どうもワイルド・バンチの集合写真とキッドとエッタが二人で撮った写真が、私の頭の中で一緒になって、ブッチ、キッド、エッタの3人で撮った写真が私の頭の中で出来上がってしまったのかもしれない。

               腰掛けている左端がキッド、右端がブッチ
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                       キッドとエッタ               
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本文を読んでも3人で一緒に写真を撮ったとは書いていない。私は30年近く勘違いし続けていたのだ。映画と同じ構図の写真は存在しないのだと分かったのは非常に残念だが、勘違いし続けているよりは良かったのかもしれない。それにしても、人の、いや、私の記憶なんて当てにならないものだ。気をつけよう。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-27 21:10 | 北大 | Comments(1)

恵迪寮の友人

恵迪寮時代の友人が二人、岐阜まで遊びに来てくれた。一人は東京の、もう一人は名古屋の住人だ。東京の友人(T)が車で名古屋の友人(H)の家に行き、Hと一緒に岐阜に来たのだ。今日はじっくり飲むのだといって、先ず岐阜駅の近くに宿を取った。その宿から近い「水谷」という居酒屋へ入った。入ったというのは不正確で、店の前の歩道に置かれた、酒の通い箱の上に板を乗せただけのテーブルと丸い椅子という席に座ったのだ。あいにく雨だったが、歩道にせり出した庇が雨を防いでくれていた。「水谷」という居酒屋は岐阜の飲んべえなら知らない人は居ないという有名な店で、土曜日などは午後2時ごろから歩道までお客があふれているという店なのだ。

お決まりのシロモツのどて煮を皮切りに、焼き鳥を数種類頼んで、ビールとコップ酒を楽しんだ。TとHは頻繁に会っているらしいが、私はTやHと会うのは、本当に久しぶりだった。何度も言うようだが、恵迪寮時代の友達は、久しぶりに会っても時間の隔たりは一瞬にしてなくなってしまうから、不思議だ。まるで学生時代に戻ったような気分で、いろいろなことを話し合ったが、なかでも嬉しかったのは、長年思っていた疑問のひとつに、明解な答えを得たことだ。

その疑問は「何故、道産子は逆境に強く、苦労だと思われることを笑い飛ばせることが出来るのか?」というものだ。函館出身のHの答えはこうだった。「北海道の冬は長く、野山はモノトーンの世界、“無”、“死”の世界だ。ところが春になると野山は一斉に芽吹き、花が咲き乱れる。“再生”だ。北海道の人たちは毎年、長い冬に耐え、春の再生の喜びを身体で感じるのだ。どんなに辛いことがあっても、そのうちなんとかなるさ、という考えが身体に浸み込んでいる」のだそうだ。札幌で5年間過ごしたとは言え、正月には関東にあった実家に帰っていた私には、実感として解らないことだった。“死”と“再生”、どこかで同じようなことを読んだ。「現代人は日常生活において、余りにも“死”という観念を遠ざけている。必然的に“生”の大切さも薄くなっている。“死”を強く意識することによって、“生”が強い光を放ってくる」というものだ。そして、話は「若い時に挫折したことの無い人間は、どうも人間が薄っぺらだ」とか「年取ってから挫折すると、深刻なことになる」というような話に発展した。アラ還の、大分頭が薄くなった三人が、気分だけは学生時代に戻って、ああでもない、こうでもないと、楽しく酒を飲んだ。

次の日は日帰りで郡上の山の上に遊びに行った。二人とも山の家を気に入ったようで、「今度は東京の仲間を連れてきて、ここに泊まって大いに飲むぞ」と宣言をして帰っていった。
それもまた、楽しみだ。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-21 12:07 | 北大 | Comments(0)
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私が通っている英会話塾に新しい女性の講師が来た。Nickyという英国人だ。なんと、少女時代をマレーシア、サラワク州のミリで過ごしたと言う。25年前、8才の時にお父さんの仕事の関係でミリに来たと言うのだ。25年前と言うと、私がサラワクの隣のサバ州のサンダカンに3度目の赴任をした時期だ。またミリと言う所は、2005年頃から2007年にかけて、私が最も頻繁に、また滞在期間も長く出張した所だ。なんという偶然!
 
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そのNickyの好物は「Kankung belacan」だという。kangkungというのは「空芯菜」のことで、「belacan」というのは海老を発酵させて作った調味料のことだ。マレー語で「belacan」、インドネシア語で「terasi」という。マレーシアやインドネシアでは料理の下味に頻繁に使う調味料で、カレールーのように固めてある。熱を加えると強烈なにおいがする。好き嫌いがはっきり分かれる代物だ。

「kangkung belacan」というのは空芯菜を炒めてbelacanで味付けしたマレーシアのお惣菜だ。Nickyに「kangkung belacan」を日本でも食べることが出来るよと言ったら、けげんそうな顔をした。実を言うと我が家には、出張のたびに買ってきたり、貰ったりした「belacan」が使いきれないほどあるのだ。最近、日本の野菜売り場でも「空芯菜」をよく見かける。きょうのレッスンの時、マレーシア産のbelacanをひとつNickyに持って行ってやった。Nickyは、日本で「kangkung belacan」を食べることが出来るとは、と感激していた。

それにしても、英会話の先生がマレーシア育ちとは! 私とマレーシアとは縁が切れないようになっているらしい。私の英語を「Global English」にグレードアップしようと頑張ってきたのに、また、元の「Malasianized broken Japanese English」に逆戻りしてしまわないか、心配になってきた。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-16 21:19 | 折にふれ | Comments(0)

鶏脚

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久しぶりに鶏脚(かいきょ)を煮た。文字通り鶏の足だ。日本では普通捨ててしまう部位だ。無添加ハムの「サイトウ」ではこの鶏脚(サイトウではモミジと呼んでいる)を扱っており、頼んでおけば配達してくれる。外の皮を既に剥いてあり、約550g入り1パック110円だ。ただみたいな値段だ。日本では捨ててしまう部位なのだが、中華料理ではよく使われる食材で、この鶏脚とスッポンのスープは高級なほうに分類される。スープの中に入っている鶏脚はとろっと軟らかくなっており、口の中に入れて、上顎と舌でもぐもぐやっていると、身と骨がばらばらにほぐれてくる。口の中で骨だけをまとめて、ぺっと吐き出すのだ。脂肪とゼラチン質がたっぷりで、味は濃厚だ。難点は見た目が悪いことだ。見ようによっては赤ん坊の指に見えなくは無いので、なれていない人や気の弱い人は、これを見ただけで食欲をなくしてしまう。これはサンダカンに居た時の話だが、日本から来たお客さんたちと一緒に食事をした時、最後のスープが出るまでは、「美味しい料理ですね」などと大いに盛り上がっていたのだが、最後のスープが出てきて、皆がスープの中身を見たとき、一斉にシーンとなってしまった。皆の目がスープの中身に釘付けになっている。甲羅のついたすっぽんの切り身と鶏脚が入っていたのだ。

マレーシアあたりに長い間楽しんで住むことができるかどうかは、食べ物に対する適応力にかかっているようだ。果物の王様と言われる「ドリアン」、コリアンダーの葉っぱ「香菜」、えびの塩辛を固めた調味料「ブラチャン」、それにこの「鶏脚」を普通に食べられれば、その人は何年でもマレーシアに住むことが出来るでしょう。幸いなことに私も妻もこれらの食品を何の抵抗もなく、と言うより好物として食べることが出来たので、マレーシアでは楽しく過ごすことが出来た。

近々姉妹ブログにレシピをアップしますので、食べてみたい人は是非チャレンジしてみてください。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-12 17:57 | 手料理 | Comments(4)

これは何でしょう?

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これは何でしょう? 新作のチョコレート。 純チョコを放射状に練りこんだミルクチョコレートを硬いチョコで包んで、ミルクチョコのパウダーをまぶしたもの。そう見えますよね。実はナツメグです。

先日、チキンカレーを作ったのですが、あいにくガラムマサラを切らしていてガラムマサラなしで作ったら、なんとも間も抜けたぼやけたカレーになってしまった。ガラムマサラを買いに行って、何気なく容器の後ろを見たら、原材料が書いてあった。クローブ、シナモン、クミン、コリアンダー、ブラックペッパーと書いてあった。これだったら、我が家に在庫があるのでは、と買わないで帰ってきた。さらにインターネットで調べたら、ナツメグも使うと書いてあった。待てよ、ナツメグなら12年前に死んだ兄から貰ったのがどこかにあるはずだと思い、探してみた。あった。ナツメグとクローブのホールがあった。それに最近BAMIXを貰ったので、クローブ、ナツメグ、クミン、コリアンダー、ブラックペッパーをホールのまま炒って、BAMIXで細かい粉にして、それにパウダーのシナモンとカルダモンを加えたら、香りの高いガラムマサラが出来上がった。先日食べ切れなかったチキンカレーを温めなおし、仕上げにガラムマサラを加えた。見事によみがえった。やはり、手抜きをしてはいけないのだ。

このナツメグとクローブは兄が死ぬ2,3年前に貰ったもので、実に15年経ってようやく使うことが出来た。実を言うと、貰ったのはよいがどうやって使ったらよいか分からず、台所の棚の奥に仕舞いっぱなしになっていたのだ。兄は「何やってンだか」と苦笑いしているかもしれない。よし、次回はちゃんと美味いチキンカレーをつくるぞ。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-06 15:43 | 折にふれ | Comments(0)
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今回は三姉妹の末っ子、Nの話。今年の8月に10歳になる。この子は3ヶ月になって間もなく、週に4日、朝から夕方まで我が家で預かることになった。我々夫婦には子供が出来なかったので、妻にとっては初めての子育てだった。それも五十過ぎてからだ。最初は慣れていないこともあり、戸惑ったことも多かったようだが、慣れてくるにしたがって、彼女らしい、落ち着いた、手をかけた子育てをしたようだ。結局Nを3年4ヶ月間預かったのだが、私はNがダダをこねて泣くのを見たことが無かった。お腹がすいたとか、眠いとか、オムツがぬれているとか、そんな時、むずかる程度で、ほとんど泣いたところを見ることは無かった。妻に極意を聞いたことがある。「遊びたいだけ遊ばせれば、満足してわがまま等言わないし、こちらの言うこともよく聞く」と言うことらしい。
段々大きくなって、自我に目覚めてくると、気に食わないことや、どうしても我慢できない事などが起こると、泣く代わりに床に突っ伏して、この世の終わりというような顔をして、じっとしているのだ。妻はそれでも、そのままにしておいた。そのうちNは眠ってしまうのだった。眠ったのを見計らってNを床まで抱いてゆき、本当に眠ってしまうまでそばについていた。

私も初めて哺乳瓶で乳を飲ませることも経験したし、Nが初めて立ち上がったのも、初めて歩いたのも、私の指につかまってのことだった。Nについてはいろいろとエピソードはあるが、極め付きは写真のマフラーだ。

ずっと時が経って、2006年1月中旬から2月下旬にかけて、私はマレーシアからインドネシアに出張した。一ヶ月弱で帰国する予定が延びに延びて、結局帰国したのが2月の末になってしまった。その時小学1年生だったNはT伯父さんにと、指編みでマフラーを編んでくれたのだ。このマフラーは1月末には出来上がっていたという。2月になってからは毎日のように私が何時帰ってくるのか、妻に聞いていたらしい。そして、待ちわびていたT伯父さんが帰ってきた。Nはお母さんに連れられて我が家にやってきた。マフラーの入った箱を胸に抱えて、車から飛び出して走ってきた。ちょうど家の前を他の自動車が通りかかり、お母さんが慌ててNを掴まえたので何事も起きなかったが、この一部始終を私はベランダから見ていたのだ。もう、胸キュン。それ以来、Nは私にとって「胸キュンのN」なのだ。そしてNに「NはT伯父さんの宝物」と言ってはばからないのだ。Nも妻に「T伯父さんは私のこと、宝物だって」と言っているらしい。

そのNも今はもう4年生。バドミントンを始めて週末は結構忙しいらしく、以前ほど頻繁に遊びに来られなくなった。先日、久しぶりに遊びに来て、大好きなぬか漬けをかき回していった。例によって、手形をぬか漬けの表面に残していったが、ずいぶんと大きな手形だった。
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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-01 17:21 | 折にふれ | Comments(4)