炎
2009年 04月 12日
これは郡上にある山の家の囲炉裏です。桜の木の薪を燃やして、あまごの焼き干しを作っている所です。あまごが余り硬くならないうちに引き上げます。ある程度数がまとまったら甘露煮にします。囲炉裏の火は料理にも使えます。
それ以上に、囲炉裏の火には不思議な力があるように思います。囲炉裏の火に限定されるのではなく、燃える炎と言ったほうがよいかもしれません。ちろちろ、ゆらゆらと燃えている炎を見つめていると心のなかの不純なものが燃えて、心が純化していくように感じてきます。
亡くなった私の兄が名古屋の某ビール工場の課長をしている頃、部下で労働組合の手ごわい連中をこの山の家に連れてきて、囲炉裏の火を囲みビールを飲みながらいろいろ話し合ったそうです。囲炉裏の火を見ているうちに、みんな段々素直になってきて、お互いに言いたいことを言えるようになり、何度か繰り返すうちにみんな兄貴の子分のようになってしまったそうです。囲炉裏の火にはそんな力があると、兄はよく言っていました。
昔、生活の中に囲炉裏があった頃、昔話は婆さんから孫たちへ、囲炉裏の火を通して伝わったのだと思います。密教では護摩を焚いて加持祈祷を行うといいます。あれは護摩の炎によって純化された祈祷者の生命が炎を通して仏と交信するのではないかと思います。炎には不思議な力があることは確かです。私はそう感じます。これは人類が火を発見して以来、脈々と受け継がれてきたDNAなのではないでしょうか?
私たちの日常生活の中に薪などの炎がなくなって久しくなりました。今我々に必要のもののひとつは、炎をじっと見つめる時間ではないかと思います。
by Go-in-Kyo-san
| 2009-04-12 16:04
| 山の家
|
Comments(1)