人生は夕方から楽しくなる。ン、ほんとかな?


by Go-in-Kyo-san
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恵迪寮の友人

恵迪寮時代の友人が二人、岐阜まで遊びに来てくれた。一人は東京の、もう一人は名古屋の住人だ。東京の友人(T)が車で名古屋の友人(H)の家に行き、Hと一緒に岐阜に来たのだ。今日はじっくり飲むのだといって、先ず岐阜駅の近くに宿を取った。その宿から近い「水谷」という居酒屋へ入った。入ったというのは不正確で、店の前の歩道に置かれた、酒の通い箱の上に板を乗せただけのテーブルと丸い椅子という席に座ったのだ。あいにく雨だったが、歩道にせり出した庇が雨を防いでくれていた。「水谷」という居酒屋は岐阜の飲んべえなら知らない人は居ないという有名な店で、土曜日などは午後2時ごろから歩道までお客があふれているという店なのだ。

お決まりのシロモツのどて煮を皮切りに、焼き鳥を数種類頼んで、ビールとコップ酒を楽しんだ。TとHは頻繁に会っているらしいが、私はTやHと会うのは、本当に久しぶりだった。何度も言うようだが、恵迪寮時代の友達は、久しぶりに会っても時間の隔たりは一瞬にしてなくなってしまうから、不思議だ。まるで学生時代に戻ったような気分で、いろいろなことを話し合ったが、なかでも嬉しかったのは、長年思っていた疑問のひとつに、明解な答えを得たことだ。

その疑問は「何故、道産子は逆境に強く、苦労だと思われることを笑い飛ばせることが出来るのか?」というものだ。函館出身のHの答えはこうだった。「北海道の冬は長く、野山はモノトーンの世界、“無”、“死”の世界だ。ところが春になると野山は一斉に芽吹き、花が咲き乱れる。“再生”だ。北海道の人たちは毎年、長い冬に耐え、春の再生の喜びを身体で感じるのだ。どんなに辛いことがあっても、そのうちなんとかなるさ、という考えが身体に浸み込んでいる」のだそうだ。札幌で5年間過ごしたとは言え、正月には関東にあった実家に帰っていた私には、実感として解らないことだった。“死”と“再生”、どこかで同じようなことを読んだ。「現代人は日常生活において、余りにも“死”という観念を遠ざけている。必然的に“生”の大切さも薄くなっている。“死”を強く意識することによって、“生”が強い光を放ってくる」というものだ。そして、話は「若い時に挫折したことの無い人間は、どうも人間が薄っぺらだ」とか「年取ってから挫折すると、深刻なことになる」というような話に発展した。アラ還の、大分頭が薄くなった三人が、気分だけは学生時代に戻って、ああでもない、こうでもないと、楽しく酒を飲んだ。

次の日は日帰りで郡上の山の上に遊びに行った。二人とも山の家を気に入ったようで、「今度は東京の仲間を連れてきて、ここに泊まって大いに飲むぞ」と宣言をして帰っていった。
それもまた、楽しみだ。




                         ―了―

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by Go-in-Kyo-san | 2009-07-21 12:07 | 北大 | Comments(0)