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by Go-in-Kyo-san
| 2021-04-21 12:05
| 折にふれ
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by Go-in-Kyo-san
| 2021-03-12 10:11
| 山の家
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令和3年3月5日(金)毎日新聞夕刊の特集ワイド 評論家 佐高信さん 安倍・菅氏の身びいき
佐高氏の独特の分析に「あ~、なるほど、そうなのか」と考えさせられた。その一部を紹介するします。
「菅首相という人には『公(おおやけ)』という観念がないのではないか。観念がないというより『公』が嫌いなのだろうと感じる。ー中略ー佐高さんは語る。「かつて北海道のある町長がこう言った。『国鉄が赤字だ、赤字だと言うけど、消防署が赤字だ、警察署が赤字だ、と問題にしますか?』って。『公』とは、赤字や黒字では測っていけないものだ。公共の交通を目先の利益だけで測ったから、過疎の拡大という深刻な結果を招いたんだ」
菅首相は就任当初から声高に「自助、共助、公助」と提唱している。他人の力を借りずに自分の力だけで物事を行う「自助」まず第一に掲げ、「公助」を後回ししたことに菅首相の本質が表れている――――。佐高さんはそう見る。「そもそも『自助』で国民が暮らせるなら、政治なんていらないじゃないですか。『公助』のために働くのが政治家だ。『自助』なんてセリフを堂々と口にし、公の大切さをわかっていない人が首相であってはならない」
さらにこう続ける。「菅首相の発想は新自由主義的であり、すべてのことを利益で測ろうとするから、お金にならない『公』が気に入らないのだろう。『公』を大事にしないことは『身内びいき』にも通じる。『自助』を重視する姿勢と長男の接待問題の根は同じところでつながっているように思える。
菅政権は新型コロナウイルス問題の真っただ中でスタートしたが、肝心のコロナ対策では迷走している。「GoToキャンペーン」がその一例だ。現場の医師や国民の多くが「キャンペーン止めるべきだと」訴えたが、なかなか止めなかった。「その理由は菅首相を支援する人たちの利権が絡んでいるからだと言われている。『身内びいき』という菅首相の本質がコロナ対策にもにじんでいるのです」
コロナ対策に絡んで佐高さんが特に問題視するのは、菅政権は「GoToキャンペーン」の推進には必死なのに、キャンペーンを利用できないような立場にいる非正規労働者への対策は不十分だという点だ。――後略――
「GoToキャンペーンによって国民に金を使わせ、経済を盛り上げようという小手先の対策の前に、やらなければならないことがある。ため込んだ内部留保を労働の対価としてきちんと従業員に分配するよう、企業を動かすことこそ政治の仕事だ。――後略――
これから後半です。
「清規(せいき)と陋規(ろうき)」。佐高さんは紙にそう書いてみせた。清規とは社会にある普通のルールのこと。一方、陋規は内輪だけで通じるダークサイドのルールを意味するという。陋規とは世間一般で通用すものではなく、非合法の内部の取り決めを指す。
佐高さんは顔をしかめる。「清規は揺るがしてはいけないものであり、これまでの社会では清規は清規として存在していた。しかし今、清規が陋規化しようとしている。陋規が清規を食いつぶそうとしている」――この後、黒川弘務・元東京高検検事長に異例の定年延長を決めた問題が述べられている――
ここ数年、私たちがモヤモヤした思いを消すことが出来ない多くの問題が、実は陋規が背景にあったからだと、考えればうなずける。安倍前首相をめぐる学校法人「森友学園」や「家計学園」の疑惑しかり、日本学術会議の任命拒否問題しかり、首相を守るための公文書改ざんも、理由を示さない任命拒否も、陋規だけで通じる話だから、多くの国民は理解できないのだ。佐高さんは最後にこう言う「---陋規が平然とまかり通れば社会はゆがんでしまう。おかしいと思ったら、迷わず声を上げないといけない」
そしてこの記事を書いた記者【宇田川恵】さんはこう結んでいる。
暗い影がこの国の土台を崩しつつあるのか。しっかり目を見開く必要がある。
久しぶりに読み応えのある記事でした。
―了―
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by Go-in-Kyo-san
| 2021-03-09 17:38
| 折にふれ
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